江戸文化歴史検定受検票届く。カウント9(通算1750日・1750日間継続中)

◆第11回江戸文化歴史検定受検票(1級)が届く。いよいよラストスパートですね。
◆早朝より勉強開始。仕事、母の見舞い。また夜勉強。本を熟読しながら、他の資料を参照し、テキストの内容確認で熟読と言いながら進むペースが遅すぎる。もう少しペースアップを。
 今日でブログも通算1750日・1750日間継続中である。このままいけば年内に1800日を超える可能性もある。内容がないのによく続いているものである。

<今日の読書>
・江戸博覧強記 ⑫ 読書中
・天下大変   ⑨ 読書中

<今日の江戸学>
◆今年新築がなった日本橋蠣殻町の水天宮。「情けありまの水天宮」の地口(駄洒落)で知られる水天宮は、久留米藩9代藩主・有馬頼徳が地元から港区赤羽の上屋敷に勧請。その後、屋敷替えを経て現在地に。安徳天皇建礼門院徳子・二位尼平時子を祭神とする同社の現在の宮司は、有馬家17代当主・頼央氏。
◆現存する享和元年(1801)築の松代藩鐘楼は、「日本電信発祥の地」とされる。ペリーが日米和親条約締結のために再来日し、幕府にモールス電信機を献上する5年前の嘉永2年(1849)、佐久間象山はこの鐘楼と数十m離れた藩御使者屋とを電線で結び、自作の指字式電信機を用いた通信実験に成功。
◆延享4年(1747)10月25日、常磐津文字大夫が中村座に出演、豊後節に独自の工夫を加えた常磐津節をおこしました。これは元文4年(1739)に宮古路豊後掾(ぶんごのじょう)の豊後節が幕府に禁止されたことから、江戸にいた高弟の宮古路文字大夫が改名して始めたもの。二挺三枚(三味線二人、太夫三人)が原則で、曲調は豊後節よりも上品情緒があると評判を得、歌舞伎の所作事と結びついて発展。今日にいたっています。

◆「開館30周年記念展・・ 徳川の平和(パクス・トクガワーナ)・・・250年の美と叡智」
 期間 9月17日(土)〜11月3日(木・祝)
 場所 静岡県立美術館
 内容 徳川将軍家の治世のもと、250年の長きにわたる天下泰平が続いた日本。その初期には御用絵師の制度が確立し、将軍家などの御用を勤めた狩野 派の画風が全国に広まった。徳川の世も半ばにかかると、民間の個性きわだつ絵師たちの活躍により、絵画の世界は多彩に展開していった。いわゆる 「鎖国」体制下にかえって高まった異国への関心から、明清時代の中国絵画の感化のもとに成立した南画や、西洋画の影響を受けて描かれた洋風画の ような、新しいスタイルの絵画が現れたことも、重要な出来事でした。やがて、幕末に至り、「徳川の平和」が揺らぎだすと、近代に先駆ける様々な 試みが絵画の表現においても認められるようになってきた。駿府で最期を迎えた徳川家康の没後400年を記念して、「徳川の平和」がもたらした奥行き 深い豊かな美の世界を味わっていただく。

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<今日の小池劇場>
豊洲市場問題
 豊洲市場問題について、今日開かれたプロジェクトチームの会合には建物の設計をした日建設計の担当者が出席し議論がかわされた。また豊洲移転を決断した石原元知事からの回答が公表された。豊洲市場は本来は来月7日に開場予定で、地元の商店では豊洲の名産品を開発するなど開場に向けた期待が高まっていた。豊洲商店組合の渡辺理事長は、豊洲新市場と連携して新たな豊洲ブランドを作ろうとの意気に燃えていたところなのでショックが大きいと話す。プロジェクトチームによる2回目の会合には日建設計の担当者が出席、建物の安全性について議論された。耐震設計で地下の空洞を考慮していないと高野一樹氏が疑問を示し、日建設計は頑丈な基礎などがあり地震が起きてもほとんど変形しないなどと説明した。一方で小池知事の疑問に対する石原元都知事からの回答が今日公開され、「全く記憶がありません」「盛り土をしないとの報告を受けた事実はない」などと綴られている。
◆五輪見据え“実行プラン”策定へ。
 小池知事は東京五輪を見据えて都政の課題の解決を目指し、来年度から集中的に取り組む実行プランの策定に向けて検討を始めた。副知事や局長らを集めた会合を開き、防災対策や経済、待機児童などの課題解決の施策を年内をめどにとりまとめることにしている。