今日はハロウィン。10月も終わりですね。

◆ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。キリスト教の祭ではない。
 この土日、ハロウィンパレードやパーティでコスプレを楽しんだ人も多いようですね。さて江戸人もコスプレが大好き。吉原で8月の1か月にわたり行なわれた「俄(にわか)」という行事、ご存知でしょうか? もともと素人によって即興的に演じられるお芝居で、吉原では普段は裏方の芸者や幇間が思い思いの扮装で即効芸を披露したそう。『東都歳事記』には、吉原で茶屋を営んでいた人が歌舞伎役者の真似を好んだことから思いついて始め、江戸中の話題となり、毎年行なわれるようになったという記述があります。

◆朝から勉強。仕事の帰りに病院へ。帰宅後勉強。今日で10月も終わり。ラスト3日ですね。

<今日の江戸学>
◆文政の大火と神田佐久間町
 文政の大火は、文政12年3月21日 神田佐久間町から出火した火事であり、「佐久間町火事」とも呼ばれている。武江年表には、次のように書かれている。
 「三月二十一日(陽歴四月二四日)、北風烈しく、已の刻過、神田佐久間町弐丁目河岸の材木小屋より火出て、神田川を飛て東神田武家・町屋一円に焼、夫より東は両国橋際・浜町辺武家方より永代橋手前迄、西は須田町通り西側残り、東側より今川橋向本銀町・本町河岸・御堀端通・数奇屋橋外迄、南は新橋・塩留迄を限りとし、其間の町々は本町・石町・大伝馬町・小伝馬町・馬喰町・横山町辺一円・堺町・葺屋町両座芝居・牢屋敷辺・小網町・八丁堀・霊巌島・鉄炮洲・築地武家方・西門跡より先、海手に至り佃島迄、木挽町芝居・京橋・新橋辺町屋類焼に及び、翌二十二日朝鎮火す。武家方類焼夥しく、南北凡一里余、東西二十余町。焼死・溺死の輩千九百余人と聞り。御救の小屋九ヶ所を建て、類焼の貧民を救せらる。」
 これによると、出火した日は、北風が強くて、佐久間町2丁目で発生した火事は、神田川を飛び越えて、東神田から京橋・新橋あたりまで延焼し、東側は、 両国橋の西際から八丁堀から築地を焼失させ、佃島まで延焼している。21日の午前10時ごろに発生した火事は、翌日で燃え続け、朝にようやく鎮火したようである。
 過去の江戸検では「文政12年(1829)年3月に中村座市村座を焼いた「文政の大火」は、その年の干支から「己丑の大火」とも呼ばれました。これに対し、その5年後の天保5年(1834)2月に中村座市村座を焼いた火事は、「(  )火事」と呼ばれます。(  )に入る干支を漢字2字で書いてください。」この正解は「甲午」であるが、「甲午火事」も大きな火事でした。この火事は、「武江年表」には、「二月七日(陽暦三月十六日)、北風烈しく、昼八時、神田佐久間町二丁目琴師の家より出火して、即時に神田川を越て東神田お玉が池の辺へ移り、一円に焼広がり、東は両国矢の倉(旧名なり)辺にいたる。西は神田お玉が池より今川橋向・本銀町・石町・本町・室町迄東側一円、伝馬町牢屋敷・油町・塩町・堺町・葺屋町両座の芝居・住吉町・難波町・大坂町・小網町辺。この間に挟りたる町は、少しも残る所なし。日本橋より先は、通り町筋東側・八丁堀・霊巌島の辺・新川・新堀・永代橋際迄、鉄畑洲・築地門跡より海手まで、木挽町芝居・佃島等悉く焼亡す。方域、去ル丑年三月の火事に大やうたがはず。」このように、甲午火事も、文政の大火と同じように神田佐久間町から出火している。こうしたことから、「またも火元は佐久間町」とも言われ、佐久間町でなく「悪魔町」と呼ばれることもあったようである。こうした汚名をそそぐため、佐久間町では防火に力をいれ、何がなんでも火はださないと消防訓練に努め、火を出さず、町を守り抜いたそうです。
◆「十月の 晦日八百五町 寝る」。江戸時代、11月1日は「歌舞伎の正月」と呼ばれ、江戸三座(堺町の中村座・葺屋町の市村座木挽町森田座)は顔見世興行で賑わった。つまり冒頭の川柳は「10月末日は大江戸八百八町のうち、三座のある三町だけは翌日の準備で寝る間もない」ことを詠ったもの。

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<今日の小池劇場>
豊洲市場問題 ”都として敷地全体に盛り土 正式決定”。
 豊洲市場をめぐる問題。東京都が内部調査を行った結果、平成21年に都として敷地全体に盛り土を正式決定していたことが、新たに見つかった文書から明らかになった。盛り土をおこわなかった今回の問題は、専門家の提言だけでなく都が自ら決めた方針にも反することが明確になり、都は関係者の処分により厳しい処分を下す方針。ただ、報告書では盛り土を行わない方針をいつ誰が決めたかについて特定できなかったことに加え、都の土壌汚染対策への姿勢が明らかになっていなかった。
 盛り土問題責任者が8人でたが石原元知事の責任は問わないのかと効かれた小池都知事は足早に去っていった。東京都が段階的に決まったとしていたが第2回の検証報告が明日公表される盛り土をしない方針は最終的に2011年8月の部課長級会議で決まったとわかった。当時の中央卸売市場長だった中西副知事など8人が責任ある立場だとしている。豊洲、オリンピックについては明日の夕方会見をする方針だ。知事の仕事ぶりには85%が評価しているがこれからの判断でかなり変わってくる。
◆ボート・カヌー競技会場 埼玉県上田知事 「彩湖」開催 小池知事に改めて要望
 東京オリンピックパラリンピックのボート・カヌーの競技場を巡って、埼玉県の上田知事が今日、小池知事に対して、埼玉県の「彩湖」での開催を改めて要望した。4年後のボート・カヌーの競技会場に関して、東京都の調査チームは、海の森水上競技場の恒久的な施設か仮設施設として整備する案と、宮城県登米市にある長沼ボート場に変更する3つの案を示している。当初提案されていた埼玉県の彩湖は都の調査チームが難しいとの見解を示していたが、今日埼玉県の上田知事が都知事を訪問し、彩湖での開催を改めて要望した。都の調査チームは明日、最終的な報告書をまとめ、小池知事は都政改革本部の会合で報告を受けた後、判断を示すことにしている。
◆小池氏「7人の話聞いて」”7人の侍”処分先送り。
 イベントに出席した小池都知事は、イベント終了後に取材応じた時に「7人の侍の処分」についての質問が投げかけられた。都の本心に関し、都知事選で小池氏の応援に回った7人の自民党区議のことを「7人の侍」とよんでいる。しかし都連から突きつけられいた期限は10月30日。先週金曜日、自民党議会幹事長は7人の処分に関与しないとしていたが、定例会見で二階氏が7人と食事を誘っていたことが明らかにされた。その食事を断っていたという。下村会長は「幹事長は怒り心頭だ」と話した。 処分を巡る会合だったが、小池から電話で連絡が来たことにより処分はされず7人の意見を聞いてから改めて処分する考えでいくと話した。