今日から11月。

◆いよいよ明後日ですね。試験開始直前までしっかり、勉強して行こう。

<今日の江戸学>
地震火事について
地震火事は、安政江戸地震に関連して発生した火事です。安政江戸地震安政2年10月2日に江戸を襲った地震です。地震が起きたのは、午後10時ごろでしたが、火災が江戸市中各所から起きました。この時の死者は3800人と書かれています。これは当然地震による死者も含めたもの。この中で、安政江戸地震で特に被害が大きかったのが、吉原です。「武江年表」には、「吉原町の焼あるは他所より早し、京町2丁目・江戸町1丁目より火起こり、其余、潰れたる家々より次第に焼出て、一廓残らず焼亡す。」と書かれています。吉原は、遊女の逃亡を防ぐため、遊廓の周囲は、いわゆる「おはぐろどぶ」と呼ばれた堀によって外界から遮断されていて、出口は大門だけでした。『実録大江戸壊滅の日』(荒川秀俊著 教育社刊)によると、この日、遊廓ではまだ宵の口の午後9時ごろ、入口に近い江戸町一丁目で火事があり、その火事が、まだ鎮火しない時間帯に安政江戸地震が起こったと書いてありました。そのため大門付近の火災によって遊廓内の人々は外部への逃げ路が亡くなりました。また、非常時のために設置されているおはぐろどぶの跳ね橋を下ろすこともできなかったようです。こうしたことから、大勢の焼死者がでることとなりました。吉原は3町四方という狭い範囲となりますので、安政江戸地震の際の実質的な最大の被害地は吉原ということになります。吉原の大見世の三浦屋では、かせぎのよい遊女を選んで穴蔵へ入れて助けようとしましたが、火が入って全員焼け死んだという悲劇も起きました。
◆万延元年(1860)11月1日、孝明天皇の妹和宮と第十四代将軍徳川家茂の結婚が正式に発表。公武合体のいわゆる政略結婚。和宮有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄。和宮はかたくなに拒否していましたが、兄の心境を思い、受け入れました。この時に詠んだのが「惜しまじな 君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消ゆとも」という歌でした。
◆「十月の 晦日八百五町 寝る」。江戸時代、11月1日は「歌舞伎の正月」と呼ばれ、江戸三座(堺町の中村座・葺屋町の市村座木挽町森田座)は顔見世興行で賑わった。つまり冒頭の川柳は「10月末日は大江戸八百八町のうち、三座のある三町だけは翌日の準備で寝る間もない」ことを詠ったもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<今日の小池劇場>
豊洲市場問題
 今日、豊洲市情問題について2回目の調査結果が公表された。1回目での公表では明らかにならなかった「いつ、誰が盛り土を行わないと決めたのか」という疑問について、「平成23 年度の部課長級の会議で実質的に決定された」とし、当時の市場長ら幹部8人に責任があると結論づけた。小池知事は今日の会見で、「当時の会議で、地下にモニタリング空間を設置する方針を確認したと、複数の関係者が証言していた」と話していた。本来、平成20年の7月の専門家会議で、敷地全体に盛り土をすることを提言し、平成21年には正式決定していた。このことから小池知事は「都が決めた方針に反したことは重大だ」としている。当時の幹部ら8人とは、平成23年時の市場長、当時ナンバー2の管理部長など現職の幹部4人、平成22年時の市場長など退職したOB4人だと言われている。小池知事はこの8人を、「盛り土しないことを決めた実務上の決定者であり、事実を知りうる立場にあった」とし、懲戒処分の手続きを速やかに進めるよう指示し、厳正に対処するとしている。また、豊洲市場の移転時期については、「いつまで延期するかはいくつかのパターンがあり現在精査している。ロードマップは近々報告する。」と述べ、今後の工程表を複数案作成する考えを明らかにした。
◆規模縮小や会場変更 複数の選択肢 “都の提案として採用 4者協議へ”
 東京オリンピックパラリンピックのコスト削減に向けた競技会場の見直し案の最終報告が、都政改革本部の会合で調査チームから示された。当初は小池知事が各会場で一つの提案に絞ることが想定されていたが、先月IOCのバッハ会長は都が単独で決定するのではなく4者協議の場での検討を提案。そのため、きょうの最終報告には複数の選択肢が盛り込まれた。小池知事はこれらを都の提案として採用し、IOCなどとの4者協議に臨む考え。