佐賀藩「鼓の胴の松飾り」について

<今日の江戸学>
佐賀藩の「鼓の胴の松飾り」の経過については佐賀県庁のホームページから転載します。(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20161230#p1)『1638(寛永15)年、江戸幕府は西日本の諸大名を総動員し、一気に原城を攻撃し島原の乱を鎮圧した。その勝利のきっかけをつくったのが佐賀藩の一番乗りの武功であった。しかしそのことが逆に軍法違反とされ、同年6月29日鍋島勝茂は幕府への出仕を止められ、謹慎処分を受けることになった。年末を迎えた江戸佐賀藩邸では、正月の松飾りなどをせず、ひっそりと正月の準備をしていた。ところが、年も押し迫った12月29日、突然この謹慎処分が解けた。質素な正月の準備をしていた鍋島家では、門松などの正月飾りはなく困惑の色を隠せなかった。そこでかねて出入りの荒物屋彦惣に、松などの材料を集めさせ、納屋にあった米俵などの藁とともに、にわかに松飾りを作らせたところ、その松飾りの形が鼓の胴部に似ていたことから「鼓の胴の松飾り」といわれるようになった。この松飾りは、これを吉例として以後踏襲されることとなり、佐賀でも明治時代までは県庁や市役所でも飾られていたという。』(http://beniya.m78.com/b-yori_simenawa14.html

<今日の京都新聞