保科正之が亡くなる。

<今日の江戸学>
◆寛文12年(1672)12月18日、会津藩主、保科正之が亡くなりました。62歳。2代将軍徳川秀忠の4男。高遠藩主保科正光の養子となり、のちに高遠・山形・会津の藩主に。朱子学神道を重んじ藩政に優れた手腕を発揮。4代将軍家綱の後見として幕政を主導、文治政治を進めました。