藪入り

<今日の江戸学トピック>
◆1月16日は江戸では藪入り。かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が休暇をもらい実家に帰省する日。本来は農漁村で嫁が実家に里帰りする日。藪入りは今日と「後の藪入り」といわれる7月16日の年二回ありました。
 藪入りの習慣が都市の商家を中心に広まったのは江戸時代である。本来は奉公人ではなく、嫁取り婚において嫁が実家へと帰る日だったとされるが、都市化の進展に伴い商家の習慣へと転じた。藪入りの日がこの二日となったのは、1月15日(小正月)と7月15日(盆)がそれぞれ重要な祭日であり、嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で実家でも行事に参加できるようにという意図だったとされている。
安政2年(1855)1月16日、江川英龍が亡くなりました。55歳。伊豆韮山の代官となり、36代太郎左衛門を称しました。海防のため高島秋帆に砲術を学び、佐久間象山木戸孝允らを教えた。水野忠邦が失脚した時、一時罷免されたが、ペリー来航のとき品川沖に砲台を築造し海防、外交の中心として働きました。また砲身を鋳造するために作った韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されている。

≪今日の京都通≫
宮本武蔵が吉岡一門と決闘した下り松が保存されている場所はどこか。
 ア、蓮華王院  イ、観智院  ウ、八大神社  エ、 狸谷山不動院
  <解答>  ウ、八大神社 
  <解説>  八大神社は、永仁2 ( 1294 ) 年に創建され、古くから 「 北天王 」 ( 北の祇園 ) と称され、皇居守護神十二社中の一つにもなっていた。御祭神は八坂神社と同様に 「 スサノオノミコト・イナダヒメノミコト・ハチオウジノミコト 」 で、方除・厄除・縁むすび・学業の神様として厚く信仰されており、本殿西側には宮本武蔵が吉岡一門と決闘した当時の 「 下り松 ( さがりまつ ) 」 の古木が保存されている。蓮華王院もまた武蔵が吉岡一門の吉岡伝七郎と決闘した寺院であり、観智院は下り松の決闘の後に、武蔵が隠れ住んだ寺院であり、狸谷山不動院八大神社のさらに山手にあって武蔵修行の滝がある寺院である。(3級)