『ごめんね。東京に行けなくなったんよ。』・・・・小説を書き始めました。

 「夏の暑い日、部長室で、仕事の合間に煙草を吸い、フッと息を吐きながら、公平の耳元で『ごめんね。東京に行けなくなったんよ。』という九州なまりに関西弁が混じった声を思い出した。」
 こんな出だしで始まります。1年かけて書こうと思います。

(1月24日生まれの偉人)
◆大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家である。
◆五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年(明治35年)1月24日 - 1981年(昭和56年)5月1日)は、昭和時代の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)
 1925年(大正14年)、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。こうした作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。
 戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子の『挽歌』を久我美子主演で映画化し、大ヒットさせた。