赤穂浪士討ち入り

<今日の江戸学トピック>
◆元禄15年(1702)12月14日深夜(15日午前3時ごろ)、江戸本所旗本・吉良邸に大石内蔵助良雄率いる赤穂浪士が討ち入り、吉良上野介義央を殺害。1年前の3月14日、江戸城松の廊下で主君の浅野内匠頭長矩が上野介を斬りつけ、浅野内匠頭切腹赤穂藩は取り潰しになった事件の仇討ちを果たしたもの。のち幕府は斬罪とせず、翌年2月4日浪士たちは切腹泉岳寺に葬られました。