今日は節分。「徳川将軍家の婚礼」。

◆今日は節分です。増上寺浅草寺などで節分会が行なわれたようである。成田山新勝寺の豆まきには、先日横綱に昇進した稀勢の里関も登場したようである。

◆今日は「江戸幕府の最高権力者徳川将軍」の研修会に参加。第一回の今日は、「徳川氏の血筋」。徳川家の系図から松平と徳川の関係の話が中心であった。江戸幕府が編纂した「寛政重修諸家譜」((かんせいちょうしゅうしょかふ)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である。1,530巻。文化9年(1812年)10月に完成した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E9%87%8D%E4%BF%AE%E8%AB%B8%E5%AE%B6%E8%AD%9C)に関し、その内容がたとえ荒唐無稽であっても事実として扱われたことがユニークであった。

◆研修後、江戸博で展示されたいる「徳川将軍家の婚礼」の展示を見学。徳川将軍家の婚礼は、姫君が嫁ぎ先へ豪華な婚礼道具や衣裳を携え、行列を整えて入輿した。その中で、婚礼道具には、家の格式に応じて、実家が準備する「御先道具」と婚家が準備する「御待請道具」があった。梨子地や黒漆地の地蒔きに、模様や両家の紋を散らした婚礼道具が準備された。
 展示の中心は、将軍御台所である篤姫和宮の婚礼道具が主に展示されていた。幕末であり、幕末の混乱もあり、和宮の入輿には名中山道を使い、婚礼品は東海道からというのが、印象的であった。中山道を使って、婚礼道具や衣裳を携え、行列を整えて入輿したとばっかり思っていたので、驚きであった。それだけ、天皇の妹である和宮の婚礼は、幕末で難しい時代であったことの象徴であろう。

◆今日の読書は、
 ・幕末維新
 ・参勤交代
 ・江戸博覧強記①