熊本地震から2ヵ月 6400人超が避難生活 。

◆2度の震度7を観測した熊本地震から、今日で2か月が経った。現在も6400人以上の人が避難生活を強いられる中、大きな被害を受けた益城町では仮説住宅の入居手続きが始まった。しかし八代市では12日に震度5弱を観測しており、熊本県内の余震は今も続いている。 震度1以上の揺れは1700回を数え、一連の地震により県内で49人が死亡、震災関連死は20人にのぼっている。また、阿蘇市で行方不明となっている大学生の男性は、未だ発見されてない。一方、県全体で全壊・半壊した住宅は3万棟を超え、避難生活が長期化しており、今後、熊本では16の市町村でおよそ3000戸の仮設住宅の設置が進められているが、今日時点では、この内の1割に満たない232戸にとどまっている。

<江戸学>
●文京区にある源覚寺の「蒟蒻閻魔」。江戸中期、眼病の老婆が21日間願懸けしたところ、夢に現れた閻魔が「私の片目を授けよう」。老婆の目は直ったが、閻魔の右眼は以来、黄色く濁ったままに。
・宝暦年代のころ(1751年〜1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうである。 満願の日に、老婆の目は治り、以来、大王の右目は盲目となった。 老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたといういわれがある。
夏目漱石の「こころ」、樋口一葉の「にごりえ」にも「こんにゃく閻魔」は登場する。「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました。〜」(夏目漱石「こころ」より)
・源覚寺は、380年余り前の寛永元年(1624年)、定誉随波上人(後に増上寺第18世)により現在地に開創。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩)。特に徳川秀忠徳川家光から信仰を得ていた。その間には、「明暦の大火(1657年)」、「お薬園火事(1762年)」、「戸崎町火事(1774年)」、さらに「富坂火事(1884年)」と、4度もの大火にみまわれた。太平洋戦争の東京大空襲では、本堂への延焼はまぬがれた。