田中角栄待望論

田中角栄 100の言葉〜日本人に贈る人生と仕事の心得<別冊宝島編集部・宝島社>から
田中角栄」という名前を聞くとなぜか胸騒ぎを覚える。日本列島改造論で今太閤を言われ、日本の政界を席巻したことを今でも覚えている。確かに金権批判で総理を追われたが、その実行力は魅力というか、底知れぬ胆力というか、清濁併せ飲める人は過去も現在も未来においても二度と出てくrことはないだろう。戦後最大の宰相と言われている偉大な政治家で、小沢一郎氏や石破茂氏を始めとして今なお田中角栄に影響を受けた政治家が数多く活躍している。不世出の政治リーダーとして、日本人に鮮やかな記憶を残した田中角栄。没後20年以上たつがその人を惹きつける魅力は脈々と語り継がれている。
<名言の中から>
・だらだらと飲み会に行かない、飲み会に部下を連れ回さない。・・・「みんな(警護に当たる警官)若いんだから羽目を外して楽しませてやれ。宿舎に帰るバスも手配しておくんだ。」(秘書の早坂茂三に警官の人数分の白封筒を渡して言った言葉、角栄の警護に当たる若い警察官たちを気遣い、早めに勤務からリリースしてやった)
・私は荒っぽい医者ですよ。足を切断しなくちゃいけない人には「今日お切りなさい」とキッパリ言う。半端な治療をして足を腐らせてしまうようなことはしない。(角栄はどんな非情な話であっても、それを怖れずにズバリということが最良の結果につながるという信念を持っていた。残酷な事実より甘美なウソのほうが結局は人間をよほど苦しめる。)
田中角栄は話を聞かない、と若い連中は言う。賢者は聞き、愚者は語る。もっと若い連中の話を聞こう。(若手議員に言いたいことがあれば、遠慮なく来てくれと田中派議員の会で語りかけた。その翌日に角栄は倒れ、これが実質的な最後の言葉になった。)
・失敗はイヤというほどしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身に沁みる。判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ。(角栄は他人の失敗に本質的には寛容であり、またそれを克服しようとする姿を好んだ。
・できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこのワシが負う。以上。(角栄が蔵相に就任した際に大蔵官僚を前に語った伝説のスピーチと言われる就任演説。エリート官僚たちは肌合いの違う新大臣の言葉に興味を持ち、いつか心酔するようになった。)
・人の一生はやはり運だと思う。実力があってもダメなものはダメ。努力と根気、勉強、こういったものが運をとらえるきっかけになる。(角栄は一国の宰相にには天が命じなければなることはできないと常々語っていた。運をつかむための自助努力を欠かさなかった。
・祝い事には遅れてもいい。ただし葬式にはまっ先に駆け付けろ。本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ。(人が悲しんでいる時に本当に悲しみを共有できるか、人が喜びを感じたとき本当に心から祝福できるかを全うした。)
・人の悪口は言わないほうがいい。言いたければ便所で一人で言え。自分が悪口を言われたときは気にするな。(角栄ロッキード事件以降いくら攻撃されても個人を名指しで批判した言葉はほとんどない。)
ロッキードで多くの人間が去っていった。世の中そんなもんだ。でも残ってくれた人たちもいた。地元の無名の支援者だ。日頃、何も言わない人たちが残ってくれた。私の宝だ。
・肝心なのは大事を任せられる人を見つけることだ。
・大事なのは数字と事実だ。
・初めに結論を言え、理由は3つまでだ。この世に3つでまとめきれない大事はない。
・名指しで批判はするな。叱るときはサシのときにしろ。ほめるときは大勢の前でほめてやれ。
・企業の社長になったら、できるだけ早く大きな仕事をやるべきだ。
・グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある。
・女は一度これと決めれば動かない。候補者の周りに女が群がれば間違いなく勝つ。
・努力と根気、勉強、こういったものが運をとらえるきっかけになる。
・聞く人が「今日は良かったな」と思う話をする。それが本当の雄弁というものだ。
・戸別訪問3万件軒、辻説法5万回、これをやれ。
・わが国の前途に思いをめぐらすとき、私は一夜、沛然として大地を打つ豪雨に心耳を澄ます思いであります。(退陣表明)
・政治にはオール・オア・ナッシングというのはない。まず最善の策を考え、次に次善、三善の策まで考える必要がある。
・戦争を知っている世代が社会の中核にある間はいいが、戦争を知らない世代ばかりになると日本は怖いことになる。(まさに今の日本を象徴している。)