「玉川上水」にみる武蔵野の面影

 多摩川から流れ、羽村取水堰から395年前の江戸時代に92センチの高低差を利用して、江戸の飲料水として、当時の江戸幕府の命を受けた玉川兄弟により作られ、今も都民の2割が生活用水として利用する東京の人々の暮らしを潤してきた玉川上水奥多摩から流れてくる、多摩川の水を羽村取水堰(せき)でせき止め、羽村から都心である新宿までまで43キロの道のりを流す水路だ。取水口からは、毎秒9トンの水が送られている。 羽村取水堰(せき)です。ここで、多摩川の水をせき止めて、玉川上水へと取水していきます。この堰は、江戸時代から続く「投げ渡し」と呼ばれる技術が今も使われている。投げ渡しは、丸太や砂利を積み上げて作った堰で、洪水などで水量が増えたときに、とり払うことで、せき止めていた水を多摩川へと逃がし、玉川上水の水門や土手の決壊を防ぐことができる。現在、東京都水道局が管理し、14人の職員が24時間体制で日々雨量に応じて調整している。
玉川上水沿いの土手には、西から東へ約1キロに延びる桜並木があり、春桜が彩る水辺へとして羽村市の名所としても知られている。元々、玉川上水を掘り進めたときに出た土を盛った土手。この土手を花見客が行き交うことで、踏み固めてもらおうと植えられたのが始まり。現在は、およそ500本もの桜が、水路を彩る。毎年、3月下旬から4月上旬は、さくら祭りも催され、多くの人々でにぎわいっている。今年も開花が例年より遅れたが、4月上旬に満開にになり、人々を和ませ、中旬に玉川上水の川面に花弁が散って行く風景が印象的であった。
羽村取水堰(せき)から下流へ約1キロ。武蔵野の原風景が今も残る新堀橋から見た玉川上水である。川に覆いかぶさるようにコナラなどの木々が生え、土手沿いは、遊歩道や公園として利用されています。ここは、玉川上水が完成してから90年後に、元々の水路が決壊するおそれが出たため、流路を変えて新しく掘ったとのことから、「新堀」と名付けられた。まさに、武蔵野の面影がある。