『“終戦”知られざる7日間』

◆『“終戦”知られざる7日間』(2015年8月16日放送 21:00 - 22:00 NHK総合NHKスペシャル」より)
 8月15日に終戦したが、そのまま戦闘態勢だった兵はおよそ800万人もいた。その中には終戦に納得いかず徹底抗戦を訴える部隊が相次いでいた。そして日米双方に死者が多数出る事態にまで発展。実際に戦闘停止の命令を徹底できたのは8月22日だった。ナビゲーターの二宮和也が語る。硫黄島からの手紙などの映画出演をきっかけに当時を生きた人の壮絶な日々を知ることができたと話した。今日の放送は終戦の日8月15日からの1週間の歴史を探っていく。
 ・8月15日
 敗戦処理を行うことになった日本政府。ポツダム宣言では占領と武装解除が求められていた。首相官邸で行われたその閣議の場で首相の鈴木貫太郎内閣総辞職を切り出し、敗戦処理は出だしたからつなづくこととなった。当時、国内外には800万人の兵士が配置されており、これらの将兵たちに戦闘停止の命令を出す必要があったが、海軍部の豊田副武も陸軍部の梅津美治郎も命令を出せずにいた。陸軍部の作戦部長の宮崎周一のもとへは前線の兵士から徹底抗戦を訴える電報が届いていた。ノンフィクション作家保阪正康はそれについて「玉音放送に関しては大本営から下に回すけれども、どこも素直に受けてはいない。天皇の意向というのは解釈が多様化するというのか」と語った。
 中国軍に対して優勢を保ち、内陸まで進行していた支那派遣軍玉音放送を受け入れることができない者が多かった。支那派遣軍に所属していた鈴木さんは当時の様子を「戦争に負けたなんて信じられないよ。太平洋の向こうの方で負けた、大陸は誰も負けておらへんから」と語った。特攻隊震洋の隊員だった神保さんは「まだ負けたという実感がどこにもない。すごい過酷な訓練、耐えられないような訓練を受けて育ってきたんですよ。それが一朝にして戦わなくていいんだと」と語った。武装解除命令を出せずにいた大本営海軍部の指揮下にあった海軍総隊から「積極侵攻作戦は見合わせる」「来攻する敵に対しては断固自衛反撃すべし」という命令が出された。
 ・8月16日
 「断固自衛反撃すべし」という命令を受け取った堀之内さんは「そこで戦争は終わってないんだと。来たらまたやるんだということでまた燃え上がるわけです」と語った。敵の来航の情報を受け取った特攻隊員たちは出撃の準備を始めた。しかしこの情報はデマだった。そんな中、1隻の船が不慮の事故で爆発を起こし、それが「アメリカ艦隊と交戦中」という情報に変わり広まった。これにより更に日本軍とアメリカ軍は一触即発の状態となった。アメリカ軍は日本軍の電報を傍受し、この状況を把握していた。マッカーサー記念館に保管されているブラックリスト作戦の資料には日本軍の抵抗を想定した対策が示されていた。歴史家のリチャードさんは「仮にある部隊の抵抗が成功し、英雄的なものとされれば他の部隊も雪崩をうって追従する。そうした事態を最も恐れていました。アメリカは太平洋やヨーロッパ戦域から追加の軍隊を送り込むことを真剣に検討していたのです」と語った。マッカーサーから「即時戦闘を停止せよ」と電報をうけとった宮崎周一はすべての部隊にし対して「やむをえざる自衛のための戦闘行動はこれを妨げず」という条件付きの戦闘停止を発令した。
 ・8月17日
 新内閣が成立。首相の東久邇宮稔彦王は最高戦争指導会議を開催し、進駐までのプランを作成した。明治大学の山本智之さんは「日本側としては時間稼ぎをしてできるだけ円滑に終戦をしたい。だから連合国の進駐も引き延ばしたいと、その間に前線の部隊の矛先を収めやすくする」と解説した。
 ・8月18日
 進駐に向けて偵察に来ていた米軍機を日本軍が攻撃した。それによりアンソニー・マルチオーネ軍曹が死亡した。軍事ジャーナリストのステファン・ハーディングさんは「彼らはマルチオーネ軍曹の死に対して激怒していたのです。マッカーサーら軍の高官たちも衝撃を受けたと思います。この攻撃は組織的なものか不穏な一部のパイロットによる仕業なのか、もしマッカーサーが18日の攻撃に日本政府が関与しているとみなしたらすぐに爆撃が始まっていたことでしょう」と分析した。ノンフィクション作家の保阪正康さんは「戦争の終わり方のない、プランのない戦いをやっていた。逆に言えば最後まで戦うということです。死ぬまで日本人みんな死ぬまで最後まで戦うということです」と解説した。
 大本営支那派遣軍朝香宮鳩彦王を派遣し、岡村寧次に終戦天皇の意思であることを伝え、強硬な態度をとらぬよう念を押した。加藤聖文さんは「もし支那派遣軍大本営の命令を聞かずにそれを無視するような行動をとった場合に、ポツダム宣言が履行できないということになる。これはその後の占領政策にも大きな影響を与えていく。結果的には戦争自体が終わらないという話になってしまいますから、それは是が非でも止めたいという話です」と解説した。大群を抱えた支那派遣軍、その全てを押さえ込むことができるのか、大本営は依然警戒を緩めることができずにいた。
 同じ頃、震洋隊の基地では、ある幹部が船で配下の部隊をまわり「最後の一兵になるまで徹底抗戦せよ」と迫った。渡邊國雄中尉はそれに対し「それは少佐殿の個人の考えですか、それとも司令の命令ですか?」と答えたという。当時渡邊中尉の部下だった茂市さんは「佐官と尉官のギャップがある中でそういうこと言えるというのは相当の気持ちをもって当たらないとできないことだと思うんですよね」と語った。玉音放送を聞いて集団自決をしようとしていた兵士に対して渡邊國雄中尉は「無駄死にするなら、その力で新日本再建のために努力するのが只ひとつの道ではないのか」と言い、自決を思いとどまらせた。半谷達哉中尉も同じ様に軍の徹底抗戦の要求を聞き入れなかったという。一橋大学大学院の吉田裕教授はこうした行動を起こした中尉達について「一番大きいのは一般の大学出身の将校ということです。厳しくなったとはいえ、自由主義的な雰囲気がある中で育ってきた。つまり軍隊意外の世界を知っている人たちですよね」と語った。
 ・8月19日
 アメリカ側に進駐までの時間稼ぎをするプランを伝えた日本だったが、アメリカ側は「まず進駐を行う」とした。これはソ連の進行が進んでいたことを意識したもの。そして陸軍の作戦部長宮崎周一は海軍とともに「八月二十二日零時 一切の戦闘行為を停止」という命令を下した。
 ・8月20日
 政府は連合国軍が8月22日以降、本土に進駐することを各地の部隊に伝達。さらに大砲の使用禁止や飛行の禁止など具体的な命令が出されていった。東久邇宮稔彦王は最高戦争指導会議のメンバーを集め、会の名称を終戦処理委員会とすることにした。その頃、支那派遣軍の総司令官岡村寧次は日本軍が中国軍の部隊から力づくで武器を奪われるなどの問題が発生し、頭を悩ませていた。その背景には中国国内の蒋介石毛沢東の対立があった。元支那派遣軍の鈴木さんは武器世襲に応じた理由について「みんな一緒に内地帰ろうよとその一言だったな」と語った。
 ・8月22日
 連合国軍が本土に進駐することが伝えられ、同時に映画の上映再開などが伝えられ、街には平穏な暮らしが戻りつつあった。一方外地での混乱は続き、大本営は外地の部隊については戦闘停止命令を3日延長するこ措置をとった。しかしその後も、トラブルは収まらず、翌年の3月までに少なくとも3280人が戦死したとされている。

 ナビゲーターの二宮和也は無駄な戦いを避けた将校たちについて「あのときなんとか日本を次の一歩に進めようと起こした行動が戦後を始める土台になり、その後の復興・繁栄の力になったのではないか」と語った。

 ・8月30日
 厚木飛行場にダグラス・マッカーサーが到着し、連合国占領下での日本の戦後が始まった。9月2日には降伏文書調印式が行われ、随行員の一人には宮崎周一がいた。9月下旬からは海外の兵士たちが順次復員してきた。元支那派遣軍の鈴木さんは当時を振り返り「お母さんの顔見たらね、ああ、これはいかんなと、がくっときたね。おふくろのあんあ顔見たことない、涙こぼして喜んでくれて、ああ良かったなと思った」と語った。元特攻隊員の茂市光平さんは戦後、高圧送電線用の鉄塔を開発する会社に就職し、日本の経済成長を支える一翼を担った。かつて上官の命令を拒んだ元隊長の渡邊國雄さんは亡くなるまで戦死した戦友たちを悼み、部下だった隊員たちを気にかけていた。茂一さんは「その(渡邊中尉の)ひと言がなければ私らなかったんですから、ありがたいことだと思っています。やっぱりね一緒に命かけてやってきたんで」と語った。

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<8月19日生まれの先人の言葉>
松下圭一政治学者)
 ・憲法前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とあるのは、すべてを官僚にゆだねるのではなく、市民による自治に基づくものだ。
●藤居 寛(帝国ホテル元会長)
 ・どんな大きな組織も一人ひとりの人間の力で支えられている。
●後藤卓也(花王元社長)
 ・上ばかり見ても、何もつかむことはできません。自分を成長させる種は、足もとにたくさん転がっているはずですよ。
松本幸四郎(俳優・歌舞伎役者)
 ・人間は、その人がどういう目にあったかではなく、事が起きた際にどう対処したかで価値が決まるのだと思う。
 ・人生に於て大切なのは、何を経験したかではなく、その時何を決断したかである。
 ・役者は舞台で演じるしかなく、一人でも、二人でも見てくださるお客様がおられれば、やらなければならない。

<本の紹介>
・ 野火 (新潮文庫) http://d.hatena.ne.jp/asin/4101065039
・ 文庫 昭和二十年第4巻 鈴木内閣の成立 (草思社文庫 と 2-8) http://d.hatena.ne.jp/asin/479422124X
・ 聖断―天皇鈴木貫太郎 (文春文庫) http://d.hatena.ne.jp/asin/4167483017
・ 最後の参謀総長梅津美治郎 (1976年) http://d.hatena.ne.jp/asin/B000J9EURG