今日は草取りに追われる。

(今日の行動)
・朝から畑。朝は5時から休憩を入れて半日作業です。だいぶ焼けたかも。

(6月15日生まれの偉人)
◆伊藤 東涯(いとう とうがい、寛文10年4月28日(1670年6月15日) - 元文元年7月17日(1736年8月23日))は、江戸時代中期の儒学者儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。異母弟に同じく儒学者の伊藤介亭がおり、母の嘉那は尾形光琳・乾山の従姉に当たる。温厚な性格の長者で父や弟たちを支えて古義学の興隆の基礎を築いた。父仁斎の遺した著書の編集・刊行につとめ、自らも「訓幼字義」などを刊行している。中国語・中国の制度史・儒教の歴史などの基礎的な分野の研究にも力を入れていた。また、新井白石荻生徂徠らとも親交が深かった。
◆高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である林子平蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人。名は正之。
 13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説く。前野良沢大槻玄沢林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの人々と交友し、蝦夷地(北海道)へ渡ろうとするが果たせずにいる。京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁した。その感激を詠った次の歌は、愛国百人一首にもとられており、名高い。
「我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ」
多年にわたる日記を残しており、吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物である。また、二宮尊徳楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物である。
◆小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名を小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。
◆古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年6月15日 - 1975年5月6日)は日本の法医学者。三重県出身。東京大学医学部名誉教授。
科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与する。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に多大な功績を残す。戦時下の警察官の暴行を立証する鑑定をした首なし事件でも注目されている。しかし被告人を有罪とする鑑定によって有罪が確定した後に再審で無罪が判明する冤罪事件が弘前大学教授夫人殺人事件の2度目の再審請求から次々と発覚した(なお、再審開始は古畑の死後である)。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120615/p1

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